多くの人は子供の時に親からこのように言われたと思います。実際僕もその点については耳に胼胝ができるくらいひどく言われました。
そのおかげもあってか僕は小学生の時ランドセルで少々心温まる経験をすることができました。そしてその経験は今まで物を大切にしてきてよかったと思えるような経験でもあると同時に、これからも引き続いものを大切にしよう思えるようなきっかけになった出来事です。
この記事では僕のランドセルの経験を含めつつ、いかに物を大切に使うことが重要であるかということを紹介していきます。
ものを大切に使ってよかった。僕の思い出のランドセル
小学校に入学して僕は典型的な黒色のランドセルを買ったもらった。初めてランドセルをし背負った時の喜びは14年過ぎた今でも覚えている。
子供の時からものを大切にするように言われていた僕は1度も壊したりなくしたりすることなく6年間使い続けることができた。
もちろんその過程には、革を引きちぎってしまうのではないかというくらい教科書が僕の手によって詰め込まれたり、確かにものを大切にしろと言われてはいたもののランドセルの上に座ったり、そして雨の日も台風の日も登下校の時はずっと僕の背中にあったランドセルはいろんな意味でいい思い出があった。
そんな僕の黒色のランドセルとお別れの時が近づいてきた。
卒業式である。
もちろん、当時は卒業式を最後にもうランドセルを背負うことがなくなって悲しくなるな、などとは少しも思わなかった。6年間毎日背負い続けてもはや僕のランドセルは無意識の中にあったからだ。
人が「これから歩こう」とか「これから頑張って呼吸しよう」などと思わないのと同様に僕も「これからランドセルを背負うぞ」とは思わないである。気が付いたら紐の部分に手を通して背中にあるわけである。それが6年間毎日続いているのでなおさら言うまでもない。
そういうわけでたとえ卒業式の当日であってもランドセルには少しも意識が向くことは無かった。

卒業式が終わった。
好きな子に告白でもしようか、という気持ちとは反対になぜか足早に小学校を後にしたのである。もっと卒業式の後みんなと話しておけばよかったと思うが僕は特に何の用事もないのにも関わらず家に向かっていったのである。
今思えば当時恥ずかしがりやだったため、いろんな人と話したいが恥ずかしくてできないと正反対の行動をしてしまったのだろう。
小学生の男の子が好きな女の子にちょっかいを出すのと似たようなものである。
いずれにしても僕は家に向かった。
そしてそれが起こったのは家からもう50メートルほどの距離に近づいた時であった。
僕の黒いランドセルの肩ひもの片方が急にちぎれてしまってしまったのである。ランドセルが自分の肩からずり落ちていく感触があって最初は何が起きたのかよくはわからなかった。
もちろんちぎれたのでそのランドセルは使い物にはならなかった。
思えばその日は卒業式。そしてその小学校生活最後の日を無事に終えて、さらにもう家までもう少しのところまでという段階で僕のランドセルは壊れてしまった。
まるで、自分の使命を全うしたかの様な印象を受けた。壊れるタイミングなんていくらでもあったはずなのに、卒業式の日の、その卒業式が終わったその帰り道の、しかも家のすぐ近く。
僕は心の中で小学校生活を共にしてきたそのランドセルに対してありがとうと伝えた。
少々雑に扱ってしまった時はあるものの、何とか6年間持ちこたえてくれてそのランドセルが僕に物を大切に使い続けることの大切さ、すばらしさ、感動を教えてくれた。
そしてこれからもものを大切に使っていこうと誓った。